才能が飛び抜けていなくても、努力と意欲があればどこでも成功できると思います。最初からそう考えてきました。
両親の苦労。
今振り返ると、自分の努力よりも両親の苦労を思い浮かべます。彼らはとても一生懸命でした。私はテニスもしていたので、毎日、週末は一日中練習をしていました。一番大変だったのは両親だと思います。母はいつも全国を付いてきてくれます。ただ、近くによい体育館がないと嫌がるのが難点です。ずっと私を応援してくれています。私がU-16だった頃から。祖母はチームのマスコットのような存在です。どこに行くにも連れていこうとします。旅行にも必ず連れて行きます。何でも言うことを聞いてくれるので助かります。
父親との会話。
ある試合から戻る途中、車の中で父が眠っていて、とても疲れているようでした。それで「すみません。40年も苦労をかけたのに、もう働かなくていいんじゃないですか?ゆっくりしてよ」といいました。こんなことを言うんじゃなかった、と思った途端、車を降りろと怒鳴られました。父は誇り高い人です。そんな答えになるだろうと思っていました。
代表の意味。
子供の頃、代表は特別で夢みたいなものでした。クラブチームで活躍することも喜びでしたが、代表はもっと超えたものでした。今は、かつての私たちと同じ子供たちに大きな喜びを与えたいと思ってプレーしています。最近ではうまくいっていませんが、そのために努力しています。
代表に初めて選ばれたとき。
まだ知らなくて、友人がお祝いの電話をかけてきました。ネットでニュースを見て、とてもうれしかったです。
スパレッティ監督との関係。
冗談で、憎しみの愛だといっています。代表に初めて選ばれたとき、話をしたんです。とても期待しているが、一番うるさく言うのはお前だ、と言われました。私はそれを前向きに捉えています。監督が執拗に指導するのは、自分の力を認めた証拠であり、成長させようとしているからです。スパレッティ監督とはとてもうまくやれています。ボールの扱いが、特に改善しました。まだ改善の余地はありますが、これまで確実に向上しています。
代表での一番のゴール。
私にとって最も印象に残っているのは、ウクライナ戦でのゴールです。私はインテルに加入したばかりで、サンシーロで難しい試合をしていました。最も感動的で重要な瞬間でした。中盤の選手としては信じられない2ゴールでした。U-21でも一度やったくらいだと思います。
フォワードからミッドフィールダーへ転向。
フォワードからミッドフィールダーへの転向は、当時は辛かったです。ラツィオのユースでフランケスキーニ監督に教わっていました。監督は、私はフォワードでは100%力を発揮できていないので、ミッドフィールダーにコンバートすると決めました。練習から逃げ出したいくらいでした。でも、あの転向が自分を今の場所に連れてきてくれたので、監督に感謝しています。今も監督に会うと、そのことについて冗談を言い合っています。
ピッチ外での趣味。
サッカーはあまり見ません。テニスの方が好きです。趣味はいつでもできるレゴです。台所のテーブルにはいつも組み立てているレゴがあります。可能なら釣りにも行きます。皆に挨拶して、3~4時間釣り糸を垂れます。何もかも忘れて、最高のストレス解消になります。今年は兄を連れていきました。10年ぶりです。今は弟の方が一緒に釣りに行こうとせがんできます。
引用元 : Frattesi: "Ecco cosa ho imparato da Spalletti. Il cambio di ruolo? Volevo lasciare l'allenamento"