ペルーのサッカー界に悲しみが広がった。
本日早朝、75歳のウーゴ・ソティルが亡くなった。
ソティルはテオフィロ・クビージャス、エクトル・チュンピタスとともに、
1970年のワールドカップでペルー代表を好成績に導いた。
ペレ率いるブラジルに準々決勝で敗れた。
「チョロ」ソティルは1973年から1977年まで、バルセロナでプレー。
ヨハン・クライフと中盤や攻撃でコンビを組み、
1974年には「バウグラナ」でリーガ・エスパニョーラを獲得。
オランダのスター選手だったクライフとは、ピッチ外でも友人だった。
その優勝のなかで、バルサがサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードに5-0で勝利した試合が記憶に残っている。
その試合でソティルはヘディングでゴールを決めた。
約束されていたにもかかわらず、スペイン国籍を取得できなかったソティルはバルセロナを去り、
ペルーに戻ってアリアンツァ・デ・リマでプレーし、2度の優勝を果たした。
ペルー代表では、1975年のコパ・アメリカ決勝でコロンビアを相手に1-0の決勝ゴールを挙げた。
「安らかに眠れ、『チョロ』」と、バルセロナはソティルの訃報を受けて追悼のメッセージを発信。
その後、バルセロナはクライフとソティルがバイクに乗った写真を投稿し、「忘れられない」とコメントした。
実際に、この2人はその時代のサッカーを愛した人々の脳裏に深く刻まれている。(出典: ANSA)
引用元 : Calcio in lutto: è morto Hugo Sotil, la ‘spalla’ Cruijff nel Barcellona